言葉の力ってどんなもんなの?

はじめましてこんにちは、きゆもとです。

今回は言葉の力について自分なりに考えたことを書き記していきたいと思います。

共感していただけてくれる方もいるのではないでしょうか。

ただの言葉は無力

結論から言うと、僕は言葉というものはある条件を満たさなければ、なんの力も持たない文字の羅列、またはただの音だと思っています。

もちろん日常生活でのコミュニケーションをとるには必要不可欠なものではあります。

しかし、読み手や聞き手が言葉に対して意味を汲み取ろうとしなければ、言葉はなんの力も持ち得ないのです。

僕は、ある出来事を経験してから言葉について考えるようになりました。

父の自殺未遂

僕には、父、母、兄、妹の家族がいます。

僕がまだ高校生だった数年前、父がある病を発症し、その後遺症として、体の半分が不自由になってしまいました。

実際、命も危ぶまれる病気だったので家族からしてみれば「命は助かってよかった」とホッとしていました。

しばらくして、父は体の機能を少しでも取り戻すためにリハビリ施設へと転院することになりました。

リハビリ施設へ転院して数週間経ったある頃、父から家に頻繁に電話がかかってくるようになっていました。

そんなある日、僕が学校から帰ると、兄が外に聞こえる大きな声で怒鳴っていました。

それは、電話相手の父に対するものでした。

経緯を聞いてみると、父が「もう無理だ、死にたい、みんなで死ぬしかない」と言っていたようです。

それに対し、兄がとんでもなく怒っていたので僕は電話をかわりました。

「〇〇か? もう仕事もできない、死ぬしかない。」

経緯は聞いていましたが、父から実際にその言葉を聞くと血の気が引きました。

僕の父親は亭主関白なところがあったので、あの父からそんな言葉が出てくることにも驚きでした。

僕は「頼むからそんなことは言わないで。俺たちが働けばなんの問題もない。一緒に頑張ろう。生きて

そう伝えると父は「迷惑かけてもいいんか?」と言っていたので、僕は「家族だから」といいそこで電話はおわりました。

数時間後、父の入院しているリハビリ施設から電話がありました。

父が首を吊ろうとしていたところを施設の職員さんが発見したそうです。

結果的には、後遺症の半身麻痺があったため、死に至るまでの締め方になっていなかったことで助かりました。

ここで僕は、息子の心からのお願いですら、届かなかったことが悔しくもあり、すごく悲しかったです。

長くなりましたが、こういった経緯から僕は、言葉の無力さを痛感しました。


発言者と受け取りの問題

ここまで言葉の無力さについて書いてきましたが、結局言葉の意味ってその言葉を発言した人がどんな人物なのか、そして受け取り手が意味を汲み取ろうとしているか。

これに尽きると思うんですよね。

僕と父親の件でいうと、僕は父親に対して少し避けてきた部分があったし、普段からあまりコミュニケーションをとっていませんでした。

父は、リハビリで自分の体が思ったよりも動くようにならないという、理想と現実のギャップで苦しみ、とても人の話を聞ける状態ではなかったんだと思います。

発言に対する説得力、そしてその話を聞く耳を持っているか、この両者が噛み合ってこそ初めて言葉は意味を持ち、人を突き動かす力を持つのではないでしょうか。


まとめ

言葉の力ってどんなもんなの?というテーマで僕の考えを書かせていただきました。

でもこれにも例外はあると思います。

言葉は刃物

こう言われるくらいですから、時に良くない力を持つこともあります。

SNSで、誰もが自分の思いを簡単に世界中に発信できる今だからこそ、一人ひとりが言葉についてもっと考えるべきではないでしょうか。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

ではまた。

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